文明を支えたナイル川をエジプトはどう付き合ってきたか


ナイル 風景
ナイル川は「ナイルの賜物」という言葉どおり、紀元前から文明を支えてきた世界最大級の長さを誇る雄大な川です。そんなナイル川とエジプトはどのように共生してきたのでしょうか。今回はナイル川とエジプトの関係について紹介します。

ナイル川と流域一帯の歴史

ナイル川の下流にあるエジプト周辺、とりわけ地中海にほど近いカイロ一帯は世界で最も古い文明の興った土地と言われています。紀元前3800年ごろにはすでに古代エジプト文明が存在していましたが、紀元前3150年ころ、周辺を統一した「統一国家のエジプト古王国」ができあがりました。このような独自の文明が生まれたのも、ナイル川によって運ばれる肥沃な土壌にあります。

しばらく経った紀元前2200年頃、エジプトの影響を受け、南方にあるヌビアでも王国が形成されていき「クシュ王国」が誕生しました。クシュ王国はエジプト新王国のトトメス1世によって滅ぼされますが、紀元前900年にナイル第4急流のそばにあるナパタで再興し、紀元前747年には逆に第3中間期のエジプトに攻め込んでエジプト第25王朝を建設しました。やがてペルシア帝国、そしてアレクサンドロス帝国を経て、ギリシア系のプトレマイオス朝のもとで独立を回復します。
紀元前30年には、かの有名なクレオパトラ7世が登場します。この頃のエジプトはアクティウムの海戦によってローマ帝国に支配され独立を失い、皇帝直轄地アエギュプトゥスとなるというエジプトにとっては混迷を極める時代でもありました。それからも領土の回復と支配を繰り返すことになります。紀元後もイギリスや欧州の列強国が進出して植民地支配をしたり、マフディ-国家が出現したりと、エジプトやナイル川周辺は政府が次々とすげ替えられる時代が続きます。その後、ファショダ事件などを経て、イギリスがナイル川周辺で覇権を握ることとなります。

そして1922年にエジプト、1956年にスーダン、1962年にウガンダがイギリスから独立し、現在とあまり変わらない政治状況になります。しかし、南スーダンなどでは未だ内戦が絶えません。
このようにナイル川流域では様々な文明や国家が興った他、列強諸国による侵略も多く受けた土地であったと言えるでしょう。私たちにとっては砂漠のイメージが強いところですが、先述の通りナイル川から運ばれる土壌は質が高く、実際には木が生い茂り、農業も盛んに行われた地域でもあります。そうした資源を獲得しようと世界中から注目を受けていたことは想像に難くないかもしれません。

ナイル川の治水

ナイル川は比較的穏やかな河川です。しかし、氾濫はするので注意の必要な河川には違いありませんが、現代ほど正確なデータもないのにどうやって昔の人たちはナイル川と共生してきたのでしょうか。ナイル川は毎年決まった時期に増水するので昔の人たちはナイロメーターというナイル川の水位を知るための装置を各地に設置し、ナイル川の水位を注視して、氾濫する時期を暦とナイロメーターで計っていました。そのため、ナイル川がゆっくり増水し、氾濫していく性質を利用することで効果的に農業を行うことができエジプトは栄えたのです。

交通路としてのナイル川

ナイル川は氾濫によって大きな恵みをもたらすだけでなく、水路としても活躍しています。いくつかある急流や滝を避ければ穏やかな河川のため、昔から重宝されていました。古代エジプトの頃から河川を利用した交通は盛んで、主に河口からアスワンまでの第一急流は重要な水路に位置していて、エジプトが勢力を広げるにつれて段々と水路も広範囲になっていきました。最盛期には現在のエチオピア周辺まで広がっていました。
現在でも「ファルーカ」と呼ばれる独特な帆船が交通手段として利用されていて、観光船の運航も行われています。

おわりに

今回はナイル川とエジプトについて紹介しました。エジプトはナイルの賜物というヘロドトスの言葉はまさに的を得た言葉で、ナイル川あっての古代エジプトだったことがよくわかります。ナイル川の水位を測っていたナイロメーターはまだ残存しているものがあるそうなので、興味がある人はぜひ観光にいってみてはいかがでしょうか。

水と生活の歴史

水と生活の歴史

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