3つの大河を擁する中国の治水の歴史


中国 風景

中国は黄河、長江、淮河といった巨大な河川が3つもあり、非常に水資源が豊富な地域です。しかし、黄河は古くから洪水を起こしやすい河川で、中国の人々は昔から苦労してきました。今回は長い歴史のある中国の治水について紹介します。

黄河の治水の歴史

中国にある3つの大河の中で最も治水の歴史が長い河川です。
黄河は多量の黄土を含み急速に河床が上昇する性質があるため幾度となく氾濫を繰り返し、中国の古代の王朝で一番の関心事になっていました。何度も何度も洪水・氾濫が黄河周辺で起こり、当時の治水技術や灌漑事業では制御しきれないと考え、「河川から25里以上離れた場所に居住すること」というルールを設けました。これが中国の治水事業のはじまりといわれています。
春秋時代になると黄河に最初の堤防が築かれ、少しずつ農地も進出しはじめます。大型の堤防が築かれる頃には、黄河はある程度は治まっているように思えましたが、前漢の時代にはその堤防も決壊してしまいます。、経済の中心だった地域で堤防の決壊が起きたので、甚大な被害を被りました。

その後も画期的な治水技術や治水事業が行われては、黄河が大規模な氾濫を起こすということが長らく繰り返され、日中戦争後に三門峡ダムなどの大規模が建設されるまでは水災害が絶えない暴れ川でした。現在では、農業や工業用水の需要が増加して起こる流量不足や水量不足が懸念されています。

長江の治水の歴史

長江は長さが全長約6300kmもあり、世界でも第3位にはいるアジア最長の川です。そんな圧倒的な長さを誇る長江は、黄河と比較するとかなり安定している河川といえます。洪水・氾濫が多い黄河流域に栄えていた当時の南宋王朝が、敵対していた金の侵攻を防ぐために堤防を決壊させ、周辺地域に大きな影響を生み出しました。その後、長江周辺では経済が活発してきたことに合わせて朝の治水事業も本格化しました。
また同じ頃には、冷遇され低い地位の官職とされてきた「治水官吏」が、治水・灌漑・水運を一体のものとして水路を運用していく「水学」が形成されたこともあり、中国全体でも治水の技術や関心が高まっていました。

現在の長江は様々な問題を抱えています。まず、問題となっているのは流量の大幅な低下です。長江は元々降水量の多い地域を流れている河川ですが、流域周辺での経済の発展に伴って人口が増加し、水の需要が高まり、水量の低下が懸念されはじめました。以前に比べると渇水や水災害が相次ぐようになり、2008年には水位は過去140年間で最低レベルを記録するほどでした。

次に、河川の水質悪化が大きな問題となっています。生活排水や工業排水などの増加が著しいことに加えて、上流域での森林伐採による土砂の混入によって、水質の悪化がかなり進んでいます。
これによって長江の生態系にも影響が出始めているのではないかと考えられています。

淮河の治水の歴史

淮河は、長い中国の歴史のなかで流路が大きく変化してきました。流路が複雑なため治水がしにくく、「壊河」ともよばれています。はじめに大きく変化したのは1194年、黄河が氾濫したことなどを原因に流路を南に変えて淮河に流れ込んだ影響で、押し出されるように淮河も以前よりも南側に流れるようになりました。そして、途中で高郵湖、邵伯湖などの湖を形成してから長江と合流するようになりました。
その後、黄河が再度流路を変更をし北側に向かうようになりましたが、淮河は変更することはできなかったため、水量の増加などを原因にしばしば氾濫しました。治水のためにいくつかでダムが建設されましたが、決壊や大洪水を引き起こすようなことが多く、淮河の治水は困難なものでした。
現在では長江と同じく深刻な水質悪化が起きていて、ピンク色の異臭のする泡が打ち寄せられている箇所がいくつかあったり、周辺の集落では発がん性が異様に高くなっていたりと、長江よりも深刻な状態が続いています。

おわりに

今回は中国の治水の歴史について紹介しました。
水質悪化はかなり深刻なものであり、中国政府の対応が今後は注目されることでしょう。

水と生活の歴史

水と生活の歴史

人類有史の頃から水に関する記録は様々な文明で遺されてきました。今日、私たちは労することなく水を飲み、生活はもちろんのこと大量生産のため水を使いますが、これまで培ってきた先人たちの歴史に触れ、普段使っている水がかけがえないものであることを知るためにこのサイトを制作しました。